主に自動車の新型車開発段階の試作車と言われるものの部品を供給している会社です。試作品の製造ですので、多品種少量が一番得意なんですけどね。そういった技術を適用できる領域で言えば、農機具関係や、建設機械の関係、産業用機器の部品です。変わったところだと10m級のモニュメントを作って日本各地の大学や公共施設などにお納めしています。
平均年齢が35.9歳で、まだまだ育ちざかりの会社だと思います。何となく仕事をして対価でお金をもらってではなくて何のために働いているのか、ということが少しずつ浸透してきています。
私は経営理念の実現、全社員を幸福にすることが会社の最終的なゴールと思っています。その目標の実現に何が必要かをスタッフのみんなが理解し、行動してくれだして組織になりつつあるので、成長が楽しみですね。育ちざかりというか若い中高生くらいの・・・。
まだまだ大学生レベルではないと思っています。
若いスタッフが多いのでとても明るい雰囲気です。目標に対して努力をして、その目標が達成できたら報酬もしっかり出すようにしています。一生懸命取り組んでくれますし、ますます明るい雰囲気になってきたと感じますね。
一番元気なのは湘南工場ですね。こっちがびっくりするくらい大きな声で挨拶してくれますね(笑)
開発案件はなかなかオープンにしてくださらないので、来年再来年の話はあるけれど先が読みにくい業界です。
自動車の各メーカーの開発は順調に増えてきているので全メーカーさんの対応ができるようにしています。薄くて硬い材料の素材にシフトしていっていますし、アルミ素材を使った部品製作は増えています。軽量化が大きいですね。
開発のお手伝いもしています。景気は悪くはないです。
会社は父が創業しました。父は三菱自動車水島製作所から独立、当時は機械とかプレスとか、もちろんコンピューターのない時代なので手で鉄板を叩いて成型していくという「叩き出し鈑金」という技術が一番得意な人でした。独立する際、叩き出し鈑金の技術を適用できる物を考えた時に鈑金塗装にたどり着いたそうです。そんななか腕を見込まれ、鈑金以外の仕事でも声がかかるようになりまして、「鈑金できるなら試作を手伝ってくれよ」という話が舞い込んで来て、そっちの方に転換していったという経緯だと聞いています。
幼少期は工場の隣に家があったので、ランドセルを放り投げて工場へ入っていました。父が誇りを持って働いているのをかっこいいなと思って見ていました。学生の時に英語の必要性を感じていた父から海外留学を薦められ、英語は全然得意ではなかったですけど、とりあえず飛び込んでみようと思い、アメリカに留学しました。
単純に留学は楽しかったですね。
卒業し日本に帰ると、父の会社の人手が足りないということで、外は経験することなく入社することになりました。
現場をいろいろ経験して、工場長付として働いていた頃、関東に工場を出す話がでて、「お前が責任者で行け」ということで湘南に。27歳の時でした。10年間湘南工場にいて製造の他に営業や経理など、全てのことを経験しました。2年後に父が社長を引退することになり、当時ナンバー2だった幹部が8年間社長を務め、それから私が三代目の社長に就任しました。
自発的に動きたい人が理想の人物像ですね。
働いているからにはより良い発想をしようとする、やらされているのではなく自分でやっている感ですね。規制がある中でいいものを早く安く作った時には達成感が味わえる会社ですので、自分の想像力やイマジネーションを発揮してもらいたいですね。
基本的に現地採用で転勤がないようにしています。希望があれば違う工場・部署・組織でということも、もちろんあります。
毎月全員上司と面談したり、コミュニケーション会を開催して自部署や他部署での飲み会も会社が決めた金額を支給して行っています。
会社の中だけではコミュニケーションは足りないし、飲食しながらの場でわかってくることもあるからね!その他にも資格取得やセミナー参加も会社が全面的にバックアップしています。
Q.最後に一言お願いします
人との出会いが可能性を広げると思っています。自己を育てるためには、知らないことは知らないと素直にはっきり言うことが大事だと思います。欲張りになって自分の限界を決めずにいろいろやってその中から自分のやりたいこと を見つければいい。この会社はいろんな可能性があるし、挑戦しないと面白くないですよね。